五藤薬局

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五藤薬局について

祖先は『功名が辻』に登場する五藤為浄です

2006年に放送されたNHK大河ドラマ『功名が辻』に登場する「五藤吉兵衛(武田鉄矢 役)」は私どもの先祖にあたり、山内一豊(上川隆也 役)の山内家と五藤家の関係につきましては、下記の通り、現在に伝えられています。

五藤家に伝わる家系図

五藤家は、明応年中(1490年代)源太左衛門尉光正の時、相模国(神奈川県)から尾張国葉栗郡黒田(愛知県一宮市)に入り、館を構えて領主となり、法蓮寺を開基しました。その後、織田家の勢力拡大とともに浪人となって黒田にいましたが、山内家が丹波から尾張へ入ってきた頃、河渡(岐阜市)の渡船で出会い、その頃から山内家に仕えたといいます。三郎左衛門浄基の時、山内一豊の父盛豊に仕え、盛豊の死後、一豊母子に付き従いました。浄基亡き後は、嫡男吉兵衛為浄、二男吉蔵為重が一豊に仕えました。

吉兵衛為浄の活躍

五藤吉兵衛為浄(ためきよ)は、13歳で山内一豊に仕え、越前(福井県)攻めの際には、一豊が朝倉軍の敵将三段崎勘右衛門と組み討ちになり、首を獲ったものの一豊自ら顔面に矢を受けました。そこで家臣の吉兵衛為浄は一豊の顔面を草鞋のまま踏みつけてようやく矢を抜いたといいます(※)。その後、数々の合戦に加わりましたが、天正11年(1583年)伊勢亀山の戦いにて31歳で戦死しました。弟の吉蔵為重も長篠、紀州、中国攻めなどの合戦に加わり、吉兵衛為浄亡き後も長浜、掛川と一豊に従い、土佐へ入国しました。入国後、一豊は兄の吉兵衛為浄の武功を重んじて、吉蔵為重に安喜城を預けました。

(※)その時の鏃と草鞋は、現在安芸市立歴史民俗資料館に五藤家の家宝として展示しています。

信頼厚き重臣として

山内一豊は、土佐を支配するため、藩内の要地であった佐川・宿毛・窪川・本山・安芸の五ヶ所に重臣を配置しました。彼らは家老屋敷を中心に土居を構え、周辺に小規模な城下町を建設しました。安芸を任された五藤家は、入国当初は家老職ではなく安喜代官でありました。寛文10年(1670年)頃家老となり、石高は1100石と重臣の中で最も少なかったのですが、尾張以来の忠義な家風に藩主の信頼は厚く、元禄13年(1700年)に奉行職を拝命して以来、度々奉行職に就任し、幕末まで藩政中枢に位置しました。

一方、知行地は羽根、安芸平野、香長平野などに分散し、安芸平野では本田の1割程度を占めるにすぎず、安芸の村全体に対する支配権はありませんでした。しかし、積極的な新田開発や山林支配、内原野焼などの産業育成をはかり、こうした経済活動により、明治以降も安定して家を維持し、高知・安芸の屋敷や貴重な美術工芸品、五藤家文書を今に伝えています。

五藤家家系図

わたくしどもの祖先である茂兵衛道カ幹は水戸へ移り、十代目の貞清が、明治元年に薬屋を開業しました。それから140年。五藤薬局では、現在も地域のみなさまの健康を第一に漢方薬をお選びし、健康の相談を行っております。体のお悩み、気になることがございましたら、お気軽にお立ち寄りください。あなたの悩みを少しだけでも軽くできるかもしれません。

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